20160726-00010001-chibatopi-000-1-view







 「頑張ってこいよ!」。その時の声と光景は今も鮮明に思い出すことができる。1997年7月5日。福浦和也内野手が初めて1軍昇格をしたプロ4年目のことだ。その前夜、1軍から急な招集がかかり、デーゲームに間に合うようにと朝一番の早朝便で2軍の遠征先の秋田から羽田空港に移動することになった。まだ外は薄暗く、誰もが眠っているはずの時間帯。一人、宿泊ホテルでチェックアウトを済ませたくさんの荷物を抱え、出発をしようとすると、ロビーには2軍監督の姿があった。驚いた。そしてその優しさが、身に染みた。力強く肩をたたかれ、若者はタクシーに飛び乗った。手を振り、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。活躍を約束し、初めて1軍に合流したあの日から長い月日が流れた。当時、2軍監督を務めた山本功児氏は2016年4月23日、64歳で、この世を去った。そして初の1軍に興奮し、ほとんど寝ることもできずに旅立った若者は今や40歳になり、マリーンズの大ベテランとしてチームの精神的支柱となっている。通算2000本安打の大記録まで、あとわずかなところに迫っている。


 

 「今の自分があるのは山本さんのおかげ。本当に恩人。思い出はありすぎるよ。よく怒られたし、打撃でも守備でもいろいろと指導をしてもらった。なによりも投手から野手への転向を勧めてくれたのが山本さんだからね」

 ある日の練習の間。福浦は空を見上げ、若い選手相手に遠い昔を振り返った。原点は、投手として入団をした1年目のことだ。2軍キャンプが終わり、浦和球場に戻った時、当時は2軍打撃コーチをしていた山本氏に声を掛けられた。「打撃の才能がある。野手をしてみないか」。最初は冗談だと思い、愛想笑いでごまかしていた。だが、目が合うたびに何度も声を掛けられ、いつしか本気だと知った。「オレはピッチャーをやりたかったから、断り続けていたよ」。しかし、最後はその熱意に押された。練習の合間の休憩時間に、試しにと打撃ケージ内で打った。それをじっと観察していた2軍首脳陣はその後、決断を下した。福浦和也は投手から内野手となった。プロ1年目のオールスター休み明けから本格的な野手としての日々が始まった。

 






2000: 管理人ひとこと 2016/07/7(木) 08:06:06.26 45.net
もうタイトルで泣いた
こんなエピソードもあるし、福浦さんには何がなんでも2000本安打達成してほしい

育成入りしたムサシも1日でも早く支配下登録されてほしいな









パワプロ・プロスピの記事などはこちら


※イチオシ!
【パワプロ2016】12球団選手データ

【パワプロ2016】パワフェス対戦チーム一覧

【パワプロ2016】パワフェス散策イベント一覧