前出の陸前高田市の関係者同様、佐々木にとって9歳で経験した悲劇は一生忘れることはできないものだ。東日本大震災で父と祖父母を亡くして、自宅も津波で失った。ロッテ入団時には「当たり前にある生活が当たり前でないことを学んだ。活躍して少しでも地域に貢献したい」と壊滅的な被害を受けた故郷の復興を誓っていた。オフの自主トレーニングで必ず地元に帰っているのは「自分が自主トレをして、それを報じるためにメディアに来てもらえば、地元に少しでもお金が落ちるかも、ということを考えるタイプ。地元に対する思いは純粋で強いです」(千葉ロッテOB)
今年の正月も帰省した佐々木は母校・大船渡高に対する恩返しプランを水面下で提案していたという。
「野球だけではない、みんなで使える室内練習場を校内に作りたいと(母校に)提案したそうなんです。ですが、『県立高校ではそういう前例がない』と言われ、断られたそうです」(大船渡市の関係者)
佐々木一家が震災後に転居した大船渡は、この3月で東日本大震災から13年を迎え、人口減や産業の復興など多くの問題が起きている。オフに帰郷するたびにそれを目の当たりにしてきた佐々木の思いを閉ざさぬように、昔から佐々木を知る地元の人がリスクを負って動いていた。
「佐々木がかつてお世話になった大船渡市内在住の方が、自費と補助金(国の事業再構築補助金)などを頼り、室内練習場を作りました」(同)
総工費6000万円を超える本格的な練習場は昨年5月に完成した。
佐々木はこのオフの長引いた契約交渉などですっかり“汚れ役”になってしまったが、地元ではそうではい。
「みんな朗希のことを心の底から心配しています。野球が好きで上手くなりたいという思いだけの子なんです。今の朗希についてしまったイメージをひっくり返すのは簡単ではないかもしれませんが、本人の意思とは関係ないところでいろんなことが動いているのは明らかですからね」(陸前高田市の関係者)