https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171218-00829516-number-base&p=3
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171218-00829516-number-base&p=4
外の空気はぐっと冷え込み、街はクリスマスのイルミネーションで煌煌と光っていた。
結局、金森のもとにNPBからの誘いは来なかった。
そんな金森にひとつの朗報が届く。社会人野球の名門、パナソニックだった。
「誰もが行けるわけではないんで、もし『社会人からあればな』とは思ってましたが、まさかパナソニックから話があるとは思ってなかったのでビックリしました」
パナソニックの監督は梶原康司という人物が務めている。2000年ドラフト8位で阪神に入団し、2004年の退団後に松下電器(現パナソニック)でプレー。NPB退団選手としては初の都市対抗野球10年連続出場の表彰を受けた。
その梶原と同部の北口正光部長が熱心に誘ってくれたのだ。
「来年(パナソニックは創業)100周年を迎える。都市対抗を優勝するためにどうしても必要なんだ」
その言葉が、心の底から嬉しかった。
パナソニックには梶原監督以外にも横浜ベイスターズを戦力外になり、その後、パナソニックに入団した田中充(現コーチ)もいた。そこに自分の将来像を重ね合わせた。
「来月から大阪に戻ります。都市対抗を目指してボロボロになるまで頑張ってきます!」
社会人野球で第2の人生を生きていく。覚悟を決めたその言葉は希望に満ち溢れていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171218-00829516-number-base&p=4
外の空気はぐっと冷え込み、街はクリスマスのイルミネーションで煌煌と光っていた。
結局、金森のもとにNPBからの誘いは来なかった。
そんな金森にひとつの朗報が届く。社会人野球の名門、パナソニックだった。
「誰もが行けるわけではないんで、もし『社会人からあればな』とは思ってましたが、まさかパナソニックから話があるとは思ってなかったのでビックリしました」
パナソニックの監督は梶原康司という人物が務めている。2000年ドラフト8位で阪神に入団し、2004年の退団後に松下電器(現パナソニック)でプレー。NPB退団選手としては初の都市対抗野球10年連続出場の表彰を受けた。
その梶原と同部の北口正光部長が熱心に誘ってくれたのだ。
「来年(パナソニックは創業)100周年を迎える。都市対抗を優勝するためにどうしても必要なんだ」
その言葉が、心の底から嬉しかった。
パナソニックには梶原監督以外にも横浜ベイスターズを戦力外になり、その後、パナソニックに入団した田中充(現コーチ)もいた。そこに自分の将来像を重ね合わせた。
「来月から大阪に戻ります。都市対抗を目指してボロボロになるまで頑張ってきます!」
社会人野球で第2の人生を生きていく。覚悟を決めたその言葉は希望に満ち溢れていた。